最終更新 2020.5.3
当ブログで取り上げた「出雲と大和」特別展は、新型コロナウイルス感染症防止対策のため、2020年2月26日をもって終了となりました。
空前絶後の特別展であり、見れたのは本当に運がよかったです。
無念にも見れなかった方は、せめて雰囲気でも味わっていただければありがたいです。
<(_ _)>
ようこそ(^^)/
人生を豊かに生きるヒントを考える当サイトの管理人ぱんぱんぱぱです。
先日、2020年1月15日から3月8日まで、東京国立博物館で開催されている「出雲と大和」特別展を記事にしたところ、たくさんのアクセスを頂戴し、感謝申し上げます。
<(_ _)>
古代史ファンの1人として、とてもうれしいです。
昨日、書き切れなかった続編です。
「出雲と大和」特別展のメインディッシュである「第3章 大和 王権誕生の章」の超個人的見どころです。
石上神宮の七支刀が目の前にあるうううう!
( ゚Д゚)
黒塚古墳出土の三角縁神獣鏡33面が全部あるうううう!
( ゚Д゚)
はあはあはあ!(´▽`)
夢にまで見た門外不出の国宝が目の前に展示されています!
これは夢か幻か!
行かなきゃ絶対後悔します!
次はいつ公開されるかわかりません!
この機会に絶対絶対行きましょう!
見ないと、悔いが残る空前絶後の特別展です!
- 1 黒塚古墳の三角縁神獣鏡33面が公開だあああ!
- 2 三角縁神獣鏡の謎
- 3 門外不出完全非公開の国宝「七支刀」が展示!
- 4 陵墓は立ち入り禁止!
- 5 大王の墓メスリ山古墳は発掘できた!
- 6 宮山古墳の形象埴輪も鎮座!
- 7 まとめ
- 8 追記 見返りの鹿も展示されています!
1 黒塚古墳の三角縁神獣鏡33面が公開だあああ!
第3章 大和 王権誕生の章コーナーは2つに分かれています。
まず最初の部屋に入ると真ん中に鎮座してあるのは・・・えっ!
く、黒塚古墳!
えっ!えっ!えっ!
( ゚Д゚)
発見後、非公開だったはずでは!
黒塚古墳は、奈良県天理市柳本に位置する長さ130mの中型の前方後円墳です。
1997年(平成9年)奈良県立橿原考古学研究所が発掘調査をしていたところ、三角縁神獣鏡が33面と画文帯神獣鏡1面発見されました。
1つの墓でこれほど多くの鏡が発見されたのは、椿井大塚古墳(京都府)以来のことです。
すわ、卑弥呼の墓ではないかと大騒動となりました。
以来、三角縁神獣鏡33面と画文帯神獣鏡1面は、奈良県立橿原考古学研究所に大切に保管されてあります。(非公開)
現地に行けばわかりますが、現在は整備されて黒塚公園となっています。
当時の発見のままレプリカで保存されて、一般に開放されています。
本物は、一般人は見ることができないのか・・・。
なんと今回、本物が一挙33枚すべて公開だあああああ!
もっとも大切に扱われていたと推定される画文帯神獣鏡がこんなに小さかったとは!
二度と見れないかもしれない代物です!
刮目せよ!( `ー´)ノ
2 三角縁神獣鏡の謎
三角縁神獣鏡がこれほど関心を呼んでいるのには、理由があります。
魏志倭人伝で、239年(景初3年)に魏の皇帝が卑弥呼に銅鏡百枚を下賜したと記述されているからです。
つまり、景初三年製造の三角縁神獣鏡が大量に見つかれば、卑弥呼の墓である可能性が高まると考えられています。
景初三年といえば、一昨日のブログで紹介した景初三年と刻まれる島根県神原神社古墳「三角縁神獣鏡」も展示されています。
う~ん、すごすぎるぞ!
この特別展はあああ!
( ゚Д゚)
現在のところ黒塚古墳に誰が埋葬されたのかは、わかってはいません。
卑弥呼じゃないの?
卑弥呼は、箸墓古墳に埋葬されている説は有力です。
日本書紀では、箸墓は、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓、大市の墓とも呼ばれています。
倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)は、大物主命(おおものぬしのみこと)と結婚しますが、私の本当の姿を見てはいけないとされました。
ひめは我慢できずに大物主命の姿が見たくて、ふたを開けるとそこには白い蛇がいました。
大物主命は、怒って三輪山に帰って行きます。
悲観した倭迹迹日百襲姫命は、なんと女陰(ほと)をはしでついて、死んでしまいます。
そこで埋葬されたのが、はしの墓=箸墓とされています。
我が国に初めて出現した前方後円墳は、なんとも悲しい男と女の逸話が盛り込まれています。
いやいや、福岡県糸島市の平原遺跡の可能性もあります。
ここでは、国内最大の大きさを誇る内行花文鏡(国宝)が発見されています。
う~ん、歴史ロマンだなあ。
黒塚古墳の三角縁神獣鏡を見て、もしかして卑弥呼が毎日見ていたのかなあと想いを馳せることができるのは、古代史ファンの醍醐味です!
3 門外不出完全非公開の国宝「七支刀」が展示!
絶対見逃してはいけない展示品は、第2ブース正面に鎮座する石上神宮の門外不出非公開の国宝「七支刀」です。
↓レプリカです。
七支刀(しちしとう、朝鮮語: 칠지도)は、奈良県天理市の石上神宮に伝来した古代の鉄剣である。全長は74.8センチメートルで、6本の枝刃を持つ特異な形をしている。1953年(昭和28年)に国宝に指定された。
日本書紀に百済が倭の王に七支刀を贈ったという記載があり、1874年に七支刀に金象嵌銘文が施されていることを発見されました。
金象嵌銘文とは、刀に金や銀などで銘文を嵌入したものです。
我が国では、712年に編纂された古事記が我が国最古の書物であり、それ以前に残された記録は、金象嵌銘文や銀象嵌銘文が唯一のよりどころです。
七支刀には、60余字の金象嵌銘文がはっきりと残されています。
推定西暦366~371の頃の西晋の元号が嵌入されており、日本書紀の記述と一致することから、日本書紀の記述が正しいことが証明されました。
この七支刀は、時折り公開されることはありますが、原則非公開です。
管理人は、いつでも石上神宮に行けば見られると思い込み、大神神社から山の辺の道を上って、ようやくたどり着きました。
非公開でした。(´Д`)
何キロメートルも山野辺の道を歩いたというのに、見れなかったという大変くやしい思い出があります。
ついに目の前で拝顔することができました。
感動!(´▽`)
感激!(´Д`)
1600年以上も前の金象嵌銘文が、少しは読み取ることができます!!!
また、5世紀から6世紀制作とされる鉄の盾も2枚展示されています。
1400年以上も前にこんな精緻な鉄の盾を作れるのかと驚くと思います。
そこのおばちゃん!
素通りするなああああ!(´Д`)
ため息を持って見つめてくれえええ!
4 陵墓は立ち入り禁止!
陵墓は宮内庁の管理下にあります。
北は山形県から南は鹿児島県まで1都2府30県に188の陵墓があり、一切立入禁止です。
(天皇陵は41基です。)
もし、発掘できたなら、邪馬台国の所在や卑弥呼の存在が確認できるかも?と学者もマニアも宮内庁にたびたび開放を陳情していますが、シャットアウトです。
考えてみれば、天皇陵の墓を暴くことは、いくら学術的とはいえ許されないのは当然かと思います。
我が国最古の文字は、712年の古事記が編纂されたときです。
我が国に初めてできた箸墓古墳(奈良県桜井市)の成立は3世紀半ばから後半とされています。
古事記成立よりも400年前の記録は、残念ながら見つかっていません。
しかも天皇陵の所在を決定づけたのは、延喜式という記録書です。
延喜式の成立は、927年です!
600年以上も後からになってです。
では、もっとも信ぴょう性が高いといわれている魏志倭人伝はというと・・・。
280年から297年の間に陳寿によって書かれ、中国正史として収録されています。
しかし、中国から遠い遠い異郷の地であった日本は、かなり距離感などでたらめで、それが邪馬台国はどこにあったのかという論争に続いているわけです。
北九州説、大和説が有力ですが、他にも出雲説、丹波説、福岡糸島説、熊本江田船説などたくさんあります。
2014年に纏向遺跡で、大規模神殿らしき掘っ立て柱の穴が発見されました。
すわ卑弥呼の神殿かと大フィーバーとなったことは記憶に新しいことと思います。
嗚呼!
なんて古代史はワクワクするんだああああ!
なお、現在は埋め立てられていて、ただの空き地にしか見えません。
(´Д`)
5 大王の墓メスリ山古墳は発掘できた!
メスリ山古墳は、巨大古墳が集中する奈良県桜井市の磐余エリアよりも南側に独立して存在する超巨大古墳です。
独立していることから天皇陵とはみなされず、盗掘されても長年打っちゃられていました。
このままでは宅地開発で、消失してしまうと奈良県やボランティアの人たちで1950年代に調査が始まりました。
すごいぞ!奈良県!
そして手弁当で調査に参加した方々にひたすら感謝です。
荒れ放題だった埋葬地ですが、なんと第2埋葬室が見つかりました。
しかも、奇跡的に未盗掘という奇跡の発見です。
次々と発掘品が続々と見つかりました。
まさに大王の墓といって申し分が無いものばかりです。。
そんな夢の発掘品が、なんと陳列してあります!
威信具がたくさんです。
玉杖がなんと2本も陳列だああ!
(出典:文化庁データベース)
時の大王がこの玉杖を掲げて、民を支配したわけです!
それが目の前に!
( ゚Д゚)ハアハア
そして、国内唯一といわれる鉄の弓と矢です。
武器は権力の象徴です。
すごい!すごすぎるぞ!
さらにすごいのは、唯一無二といわれる埴輪です。
高さだけでも3mはあります!
(出典:Wikipedia)
これが大王の墓の周りをグルっと囲っていました。
こんな超巨大の埴輪が作れるなんて!
宮内庁は認めませんが、メスリ山古墳は、天皇陵説が有力です!
奈良県橿原研究所付属博物館に行かないと見れません!
古代人はどうやってこんな大きな埴輪を焼けたの?
見るだけで圧倒されます!
6 宮山古墳の形象埴輪も鎮座!
室宮山古墳ともいわれています。
大正21年には国の史跡となっていますが、盗掘や台風など幾多の災難に遭い、また、戦時中の発掘などで記録が散乱していますが、出土した形象埴輪が、日本の歴史を知る上でとても貴重なものばかりです。
現在は、奈良県橿原研究所付属博物館に保管されています。
(出典:文化庁データベース)
超巨大な形象埴輪です。
見るだけで4世紀から5世紀の日本の世界を垣間見ることができます。
必見です!
その他、藤ノ木古墳の国宝群もあります。
藤ノ木古墳には2人の男性が埋葬されていて、一人は聖徳太子の叔父「穴穂部皇子」であるのが有力です。
管理人は、この時代ともなると、あまり関心が湧きません。
7 まとめ
「出雲と大和」特別展は、本当に本当に感激します。
あんまり感動して、図録も2,500円で購入しました。
安い!安すぎる!
(´▽`)
みなさんもぜひ東京国立博物館に足をお運びください!
しかし、当ブログを作成するにあたって、驚いたのは、参考にしたHPのほとんどが、SSL化していないhttpサイトになっていることです。
どんどんリンクを貼って、見やすくしようとしましたが、ミックスコンテンツのサイトは、2020年2月よりグーグル神は検索から排除する方針です。
奈良県橿原研究所付属博物館も桜井市HPも天理市HPも文化庁文化財データベースも、全部httpなんですが・・・。
早くhttps化にしてください!
東京国立博物館「出雲と大和」特別展で、古代史ファンとなったら、ぜひ保存や保管している「あをにをし」奈良県をご訪問ください。
ただし、アクセスがとても悪いので、長期スパンで訪れることをおススメします。
山野辺の道など全長16㎞ですからね。
運動不足の人間では、とても無理です。
4時間は見てください!
ブログと古代史に愛と真の情報を
それでは
8 追記 見返りの鹿も展示されています!
第3章コーナーでは、島根県松江市平所遺跡で発見された通称「見返りの鹿」の埴輪が展示されています。
(出典:島根県HP)
これから殺されて食べられるんだろうという不安を表現した埴輪は、全国的にも名高い芸術品として有名です!
この機会にぜひ!