最終更新2018.7.31
ようこそ(^o^)丿
お金を通じて、人生を豊かに生きるヒントをアツく語る当サイトの管理人「ぱんぱんぱぱ」です。
さて、あまり思い出したくもないのですが、管理人は現在ジョジョの奇妙な冒険の舞台であるS市杜王町に住んでいます。
7年前の2011年3月11日、東日本大震災で震度6強の地震を経験しました。
さらに、その1ヵ月後、再び震度6強の余震が襲いかかりました。
震度5の揺れの体験はあっても、震度6強という体験をされた方は少ないのではないでしょうか。
身近に死が待っているという感覚です。
天崩れ落つる審判の日という感覚です。
自力で立つことはできません。
以前ブログで、管理人は東日本大震災で九死に一生の命拾いしたことをブログに書きました。
まあ、ほとんど読まれないまま埋没した記事でしたが、管理人は文章にしたことで心の整理がついた気がしていました。
しかし、2018年も再び3月11日がやってくると、記憶がどうしても呼び戻されます。
あの日、管理人は、二度死んでいたかもしれません。
そうした体験もあり、おそらく死ぬまで、管理人は3月11日の呪縛からは逃げられないと思います。
被災して学んだ生き延びるためのサバイバル術を紹介します。
- 1 管理人の奇跡その1 当日沿岸部での調査がキャンセル
- 2 管理人の奇跡その2 陸橋の裂け目に引っ掛かったこと
- 3 日常を失うということ
- 4 備えあれば憂いなし
- 5 7日間を生き延びるために必要なもの
- 6 マキシマリストのススメ
- 7 まとめ
1 管理人の奇跡その1 当日沿岸部での調査がキャンセル
管理人は2011.3.11午後2時半、国土地理院の地図で日本で一番低い山で知られるS市宮城野区蒲生の「日和山」付近の調査予定が1週間前から入っていました。
日和山は、国の特別保護地域である蒲生干潟に隣接している海抜3mの日本で一番低い山です。
特別保護地域のため人工防波堤はなく、推定高さ20m以上の津波が襲いかかった地域です。
地図は少しわかりにくいですが、仙台うみの杜水族館がある仙台東部道路が防波堤となり、津波は止まりましたが、それでも高さ3mの津波でした。
日和山付近は⇩の箇所です。
まるで、タイタニック号遭難を予感して、当日乗船をキャンセルした人と同じように、たまたま前日に調査延期となり、日和山付近への調査が取り止めとなりました。
日和山は見る影もなく、密集した家並みは跡形もなく消え去っています。
もし調査キャンセルがなかったら、管理人は間違いなくこの世にはいませんでした。
当ブログも書けませんでした。(^^;
2 管理人の奇跡その2 陸橋の裂け目に引っ掛かったこと
被災当時、管理人は別の場所(7F建)で会議中でした。
世界の終わりのような激しく長い揺れに死も覚悟しましたが、倒壊を免れました。
すぐに自転車を強引に借りて、安否確認のため10数km先の職場に戻りました。
全員の安否を確認後、10数km離れた自宅まで、再び自転車で帰るしか方法はありませんでした。
時間はすでに19時を過ぎ、被災直後のため全市停電となり、ところどころに自家発電の明かりが見える暗闇の中を自転車の明かりを頼りに2時間半の旅でした。
帰宅するには途中鉄道を跨いだ陸橋を越える難所があります。
てっぺん付近をよたよたと走っていると、突然体重がなくなりました。
自転車ごと穴に落ち、その穴に自転車が引っ掛かり、宙ぶらりんになりました。
バカ野郎!こんなところに穴など掘って、立ち入り禁止のコーンでも置け!
と怒りながらも、なんとか穴を脱出しました。
翌日、同じ場所を通ると、背筋が凍りつきました。
地震の激しい揺れで、陸橋の接合部分が外れて、1mほどの空間ができていました。
地上の線路まで、高さ20mはあります。
昨夜はその裂け目に運よく引っかかったため、墜落死を免れました。
自転車のハンドルが裂け目に引っかからなければ、管理人はこの世にはいませんでした。
3 日常を失うということ
みなさんは地震で、電気水道ガス電話などのインフラがストップしたとき、生き延びるためには何が大切だと思いますか?
自宅が壊滅的な被害を受けてしまったのであれば、基礎自治体が開設する学校などの避難所に避難するのが一番です。
しかし、避難所はプライベート空間がまるでなく、不眠やストレスで二次災害となる恐れがあります。
それが嫌で、車中生活やテント生活を行っても、エコノミック症候群や寒暖の厳しさで体調不良となってしまいます。
自宅を失った方のつらさは、筆舌に尽くしがたいものあったと思います。
ただし、地震の被害だけに限ると建築基準法の度重なる改正により、耐震性能は飛躍的に向上しました。
中越地震、阪神大震災、熊本大地震でもほとんどの新築家屋は、構造的な被害を受けませんでした。
ただし、家屋がダメージを受けなくとも、インフラがストップしてしまうので、自宅でのサバイバルとなります。
今回のブログも、インフラ再開までの自宅でのサバイバルに限定しています。
ご容赦願います。
インフラのストップは日常がなくなることを意味しています。
トイレの水を流せない
お風呂に入れない
暖房(冷房)ができない
照明がつかない
調理ができない
洗濯できない
ガソリンがなくて、移動できない
連絡が取れない
など、インフラが復旧するまでの間、生き延びなければなりません。
4 備えあれば憂いなし
管理人は過去に大きな震災を経験したので、12年前(当時は5年前)に建て替えた際は、オール電化住宅にしました。
大正解の選択でした。
インフラ復旧でもっとも早い復旧は、電気です。
2度の震災で経験しました。
電気>通信>水>ガス>下水
の順になります。
オール電化の場合、電気が復旧すれば、設備機器の被害がなければ、早期に日常は戻ってきます。
ガスの方は大変でした。
場所によっては1か月以上復旧しない箇所も多くありました。
また、給湯設備は、470Lのエコ給湯器にしました。
これも大正解でした。
470Lの水を飲用に使えたのは、本当に助かりました。
給水車から水を汲むのに何時間も待つなど、水がないことは死を意味します。
市内はパニック状態でしたが、数日間給湯器の水でしのぐことができました。
オール電化のため、4日で電気が戻り、7日で断水が解消しました。
日常を7日間で取り戻すことができました。
7日間をいかに生き延びるかがサバイバルとなると思いました。
ハード面での備えのまとめ
立地場所 沿岸部、急傾斜地、軟弱地盤、密集地帯は避ける
家屋構造 できるだけ最新建築技術の構造躯体
熱源 オール電化が最強
+電気自動車が蓄電池となるスマートハウスが理想
給湯 給湯器は水源確保に最強
これからマイホームを建て計画をお持ちの方は、頭の片隅に入れておかれるとありがたいです。
マンションもオール電化と給湯器付きが増えています。プラス免震構造なら最強です。
また、次回車を買うなら、電気自動車にしたいと思っています。
電気自動車を蓄電池の代わりにできれば最強です。
5 7日間を生き延びるために必要なもの
7日間をインフラなしで生き延びるために必要なものは何でしょうか?
食糧と水のほかに、熱源の確保が必須です。
特に冬場に被災した場合は、熱源は絶対条件です。
オール電化では、カップヌードルのお湯も沸かせません。
カセットボンベ式ガスコンロ
明かり
1週間分の食糧と水
そして、トイレの確保がもっとも重要です。
被災した同僚に聞いても、カセットボンベがなく難儀した話とトイレットペーパーが手に入らなくて排泄の処理には困った話が多かったです。
カセットボンベさえあれば、お湯を沸かしたり、煮焼きできます。
また、暖を取ることもできます。
サバイバルのためには、最低限カセットボンベ式ガスコンロの常備及びトイレットペーパーやティッシュペーパーのストックが最重要です。
トイレはほとんどの自宅が水洗トイレとなっているので、断水すると使えません。
一つの方法として、自宅の敷地ですることも考えられますが、女性の場合なかなか困難です。
近くに開設している避難所の仮設トイレで用を足すことがベストです。
また緊急事態の際には、排泄物をごみ袋にストックする方法もあります。
6 マキシマリストのススメ
管理人は行き過ぎたミニマリスト生活には反対派です。
特に東日本大震災で被災した後は、その思いはますます強くなっています。
人生一寸先は闇の中、何が起きるかわかりません。
その際に、生き延びることができるものをストックしておかなければ、座して死を待つだけです。
缶詰、飲料水はもちろんのことカセットボンベ、乾電池、照明灯、暖をとる毛布やふとんなど多め(マキシム)に備蓄しておかなければ、備蓄のない者から消えて行くことになります。
備えあれば憂いなしの例え通り、備蓄するに越したことはありません。
今回の記事を書くにあたって我が家の備蓄状況を調べてみました。
カセットボンベ 16本
缶詰 57缶(うちさんまの蒲焼42缶)
清涼飲料水 87本
トイレットP 13袋(12個入)
ティッシュP 21セット(5箱入)
米(玄米) 2袋半(1袋30kg)
我ながらモノに溢れたマキシマリスト生活を送っていると思います。(^^;
その他、家庭菜園には、大根と人参とネギが植えてあります。
倉庫には、じゃがいもと玉ねぎをストックしています。
また、ガソリンは半分以下になったら必ず満タンにして備えています。
震災直後5時間ガソリンスタンドに並んでも給油できなかった恐怖は、忘れようにも忘れられません。
次回は電気自動車、PHV、HV車のいずれかにしないといけないと考えています。
予算との折り合いさえつけばの話ですが・・・。
7 まとめ
いかがでしたか。
東日本大震災から7年が過ぎました。
管理人は、その後の1か月間の家庭と職場を守ることに汲々として、ほとんど記憶がありません。
自分を守るため、つらさを意識下に追いやってしまったのだと思います。
ただ、今回、被災直後の記憶が蘇り、ブログにすることができました
不快と思った読者の方がいらっしゃった節には、ご容赦願います。
管理人は若い頃山歩きが好きだったので、サバイバルは常に意識して生きてきました。
山歩きの単独行は、命に直結するので、常に遭難したときの備えを心しておく必要があったからです。
投資の神様ジョージ・ソロス氏の名言「生き延びろ!まずそれからだ!」は投資の世界だけではなく、震災を含めた自然災害、事件事故すべてに共通しています。
お金を貯めることも生き延びるための手段です。
年に1回は、あらためて被災時の際のサバイバルについて、振り返ってみる機会としていきたいと思います。
それでは